経済合理性がなくても

岡山でのカフェ型居場所立ち上げの講座が終わり、長野でのカフェ型居場所立ち上げのプログラムが始まりました。

この後のステップが踏みやすい土壌が各地につくれるか、岡山での継続研究を今3人の研究者の皆さんに関わっていただきながら実施したり、様々な方に今相談にのっていただいたりアドバイスをいただきながら考える日々です。

先日は、長年商社で20年近く海外の様々なプロジェクトに携わった後、まちづくりに関わり、今は僧侶になられたという珍しい経歴の持ち主で日本内外でご活躍されている方にお忙しい合間にお時間をいただきお会いしてきました。短い時間で本当に多くの考えるきっかけをいただいたので、その方から聞いたりそのあと感じたことのメモを、誰かの何かにつながるかもしれないと思いここに置いておきます。

1.NPOの仕事は、総合戦略から泥臭い日々の活動までとにかく幅広い!

さくっと成果を出す世界じゃない

「やると決めた人が3年は最低でもやりつづける覚悟があるか。NPOの活動はとにかく地道に積み上げる部分が多い。さっと成果を出そうとしてもそれは無理。ビジョナリーに総合戦略を練ってもそんな教科書に書いているようにうまくはいかない。粘り強く地域で這うように必要なことをとにかくやり続けるしかないことがたっくさんある。」

逆にしっかり活動をしていれば地域の人はちゃんと見ている

「2-3年である程度やったら次のステージへ、という人が少なくない。周りにも3年はやってみなさいと伝えている。ちゃんと土台となる部分を積み上げられるか、それができるといろんな種が育って広がっていく。そういうことを地域の人はしっかり見ている。たださっときて何かさっと成果を出してさっと去っていくような姿勢や考えや想いではないこと、そういうことを「言葉」だけではなく「行動」を見ている人たちがいて、結果的に地域の中でいつか何かの時に手を差し伸べてくるかもしれない。ただ同時に日々の活動がどう社会全体につながっているのか、それを考えながら動くことも時には求められる。その両方の動き方を求められるが、その両方をやりたい人がそもそも少ない。」

思い出す最初の数年

この話を聞きながら起業した最初の数か月を思い出していました。思い描いていた収支計画からは遠すぎる実態(驚くほど収入がなく、驚くほど支出が出ていく)。走り始めるとこうでありたいと思うビジョンを描く時間がミリ単位もとれず、立替精算のために1円玉5円玉10円玉を揃えるためにコンビニに走ったり封筒にいれたりする日々。いろんな人の感情のすれ違いや調整や期待や負担の間で揺れる気持ち。既に実践している人たちは何をどうしたらそんなにスマートにやれてるんだろうと思っていましたが、今は誰一人そんなスマートにやってきていない、みんな泥臭く地道にとにかくやってきていているということ、そしてただ泥臭いだけではなく日々信じられないような嬉しい瞬間があるということを、自信もってそのときの自分に言えます。
その最初の2-3年、どれだけ周りの人に助けてもらって、応援してもらってやっとの思いで前に進もうとおもえたことか。本当にそのときに出会った方々には本当に今でも感謝してもしきれません。

そうした応援団と出会える確率を、特に飲み会やインフォーマルな関係性を築きにくい状況にある人たちにとってはとてもいま低い状況なので(家族のケアをしていたり、様々な事情でそういう場にいけなかったりする人等)そこを上げていきたいです。

2.経済合理性がないことには価値がない?

既存の相談場所の「ぴしゃり」感

居場所づくりを補助金に頼らず運営しつづけようと思うとある程度のそのビジネス的な要素を組みあわせていく必要も出てきます(寄付型ももちろんあり)。この居場所として果たしたい役割と、収支を成り立たせながら続けていくこととの間で揺れながら、非常に難易度高い事業計画書をつくることになります。

その組み立て方について商工会・起業相談所にいくとその事業計画の甘さに対してかなり厳しいつっこみだけを受けて「やはり無理か」と撃沈して諦めていく人たちの話をたくさん聞いてきました。それは相談受ける側としては大事な役割なのでそこは否定しません。しかし、経済合理性がないけどとても社会に必要なことはたくさんあって、それが補助金や行政事業としてはもうやりきれない部分が地域には溢れている。それをなんとかしたいと思う人に対してもうちょっとその困難さを一緒に想像しながら一緒に考える人が増えていってほしいとは思います。

また、相談先だけでなく、周りに①数字をエクセルに落とし込む部分が不得意な人も多いのでそこを一緒に手を動かしながら考えてくれる人と②事業としての「甘い辛い」がわかる同事業者の先輩アドバイザー的な人。そんな人たちがいたら全然違う。ここを支える今プラットフォームの設計に今年は入る予定です。

エンドレスループに居続けることから逃げない

「経済合理性がないことには価値がない」「価値があるものに対価が払われる、貨幣価値があがっていく」その世界の当たり前からするとこうした活動のスタンスはあまり「価値がない」という評価になりがちです。

価値がないわけではないことは心底理解していても、その大きな一つのものさしを基準に投げかけられる言葉を、スタッフや活動している一人一人が、社会の様々な場面、家庭の中でもつきつけられつづけるので、時々混乱します。そこに振り回されることなく、大切にしたいことの価値を大切にし続け、同時に「経済的にも成り立つ(家賃光熱費を払い続ける・人件費を払い続ける等)」ことも考えないといけない。何を、何の為に、この活動をやっているのかに常に立ち戻って考える、迷っては立ち戻る、悩んでは立ち戻る、不安定なエンドレスループの中に居続けられる強さが自分に欲しいと思うことはこれまでも数えきれないほどです。それを支えてくれる仲間が内外にいることが本当に大きい。

そうしたことを語っているラジオがあるよと、先日岡山で出会ったすごく素敵な農家さんに教えてもらいました。私はSpotifyでコテンラジオを聞いてきたのですが、この回はまだ聞いておらず。何度もリピートして聞いてしまいました。本当におすすめです。

【番外編#103】みんながみんな主人公!いいかねPaletteを引き継ぎし男の野望 ゲスト:青柳考哉(株式会社BOOK)② | 歴史を面白く学ぶコテンラジオ(COTEN RADIO)「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」/ Voicy – 音声プラットフォーム

3.情報は届いていないのか、届く情報にしていないのか

「情報が届いていない」という風に嘆く活動はたくさんありますし私たちも何度もその言葉にしてきました。でも、「情報が届いていない」のか、「届く情報にしていないのか」。そもそも何を届けたいのか。足を運んでもらうための情報なのか、情報そのものだけで何かアクションが起きることを想定しているのか、「情報が届く」というときに何を団体自身がイメージしているのか。その問いの置き方によって変わってきます。寄付文化が根付いていないのも様々な理由はあるけれどもNPOの広報の弱さもあるのではないかというお話もいただきました。

こまちぷらすでは、カフェの広報は結構「足を運んでもらう」ための発信が多いです。美味しいお惣菜やお弁当をつめている様子、スタッフが仕込んでいるマフィンのこと、こよりどうカフェは善了寺の境内で運営させていただいていますが、お寺さんで飼っている可愛いねこちゃんの様子。。。

https://www.instagram.com/coyorido_cafe/  こよりどうカフェインスタ
https://www.instagram.com/comachi_cafe/  こまちカフェインスタ

結果的に、足を運んだあとの「体験」で感じてもらうきっかけをつくる。逆にホームページのブログは何を何の為にやっているか、フォーマルな発信が多い。ツイッターや法人インスタはその間をつなぐ絶妙な役割。情報の位置づけ方を媒体によって変えています。

フローとなるSNS広報とストックとなるHP広報とその両輪をしっかり実直にやり続けられるか。データを整理してタイムリーに必要なことを発信できているか。そんなことが大事になってきますが、実際にそう思っても、そこにはそう簡単にはいかない複数のジレンマがあります。

わかってはいるけどできないジレンマ

・特に初期はこの活動と広報のバランスは少ない限られた人員で動いている。分かっているがとにかく手が回らない。初期はとにかく広報を助けてくださいSOSを外に出してみるのがよいのかもしれないですね。(内部でしか広報ができないと思い過ぎない。こまちもずっと先日まで県外のスタッフが広報の一部をずっと担ってきてくれました)

・くわえて、活動に関わる私たち一人一人が「困っている人を助けてください」「可哀そうな人を助けてください」という広報をしたくない。(そうしたほうが効果的なのかもしれないけど、そうした瞬間に変わってしまう構造がある)当事者だからこその感覚でそうした瞬間奪われていく力がある。

・分かりやすい「困った」に寄付を出したほうが「助けている」感覚になりやすい人の心理もある。困ったではなく、「人のやりたい」に焦点をあててあたたかく応援しあえる場や時間をつくっていく。そんなことに社会の応援が集まるようになったらいいなと思います。

その他、課題の整理の仕方、制度と運用の運用部分の評価の在り方、「人材育成」はよいがその人にフォーカスしすぎるのではなく人が育つ環境づくり、居場所づくりを公的資源だけで創り続ける数の限界、燃料をくべ続けるのではなく着火剤的な動きをする行政の動きについて、等、さまざまなお話をしたり学びをいただきました。こうして知見をお裾分けしてくださる方がいること、そのご縁をいただいた皆さんに感謝します。